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炭酸泉の歴史

日本の炭酸泉は常に少なく温度が17度から30度と低く、一般的に温泉として商業に利用されることは難しく、長い間地元の人たちだけに利用されてきました。

最近の温泉ブームに乗って大分県の長湯温泉や七里田温泉が天然炭酸泉とし注目されています。
長湯温泉では天然炭酸泉を利用した伊藤医院も有名な存在になっています。

七里田温泉はすぐそばに古墳があり、天然炭酸泉が権力を維持することに利用されていたことが伺えます。

世界ではドイツの炭酸泉が現在でも心臓病の治療に利用されています。ヨーロッパではもともと温泉やお風呂は大いに利用されていました。歴史に残っているだけでも、ギリシャ、ローマ時代からお風呂や温泉は積極的に利用されていて、午前中はスポーツの練習をして午後からはまずは温浴をしてからオリーブオイルでマッサージし、最後に冷水浴をして仕上げる。というパターンで、現在にも通じるものがあります。

これがこうじて混浴もするようになり、お風呂は混浴やどんちゃんさわぎの場になっていきました。特に混浴はヨーロッパ中で大流行し、風紀が大いに乱れていました。
そこでキリスト教が台頭し、混浴どころか裸を厳しく戒めるようになりました。それと同時にペストの大流行が温浴にとどめを刺しました。
そこで入浴は一気にしぼみ、大規模のお風呂はなくなり、沸かさなくてもいい温泉に病気の人が治療に行くだけになっていきました。
そして現在もヨーロッパでは健康利用が第一になっています。

洋の東西を問わず潜在的に入浴は人気です。
これからは世界中の寒い地域でも入浴施設ができていきはずです。

人類は6万年ほど前にアフリカ大陸から世界中に拡散して行きました。当然寒いところに進出していくので寒さ対策が必要になって行きます。
現生人類とともにいたネアンデルタール人などは生物的に寒冷対応して拡散していきましたが、寒冷には対応したもの暑さに対応できずに行動範囲がそれほど広がらないうちに現生人類の影響により滅んだとも考えられています。
そして私たち現生人類ですが、洞窟で焚き火をすることによる洞窟サウナ、川のほとりに穴を掘って水たまりを作り、そこに焚き火で焼いた石を投げ込んでお風呂を作るなどを利用して暖をとり世界各地に進出して行きました。

<h2>温浴の種類

熱放射浴  つまり焚き火
熱気浴   サウナ
温湯浴   お風呂、温泉

日本でも海岸地方を中心に洞窟風呂があったところが多くあります。
また風呂の谷。風呂が岬、不老谷など洞窟サウナがあったことを思わせる地名も各地に残っています。

現生人類は寒さには生物的な対応はせず、火と衣服で対応して行きました。
もともと風呂はサウナを意味していました。現在のようなお風呂は湯と言っていました。
つまり、人類にはサウナや風呂を利用することがDNAに刷り込まれています。

生物は安定した環境が3万年ほど続くと環境に合わせた進化をとげます。
例えばヒグマが北方に移動し北極グマになるまでに3万年ほどかかっています。

我々現生人類は6万年前からサウナやお風呂を利用して世界に進出していったので外部からエネルギーを取り入れていきてゆく術を獲得していったと言えるでしょう。

炎やお湯や温泉にはエネルギーが蓄えられています。このエネルギーが体に移ることによって体内の原子や分子が活性化し、その結果温度(体温)が上がります。
つまり、体温が上がっていることは体内の酵素も活性化していて、体が元気になっているということです。
この外部からエネルギーをとる(お風呂に入る)ことは我々のDNAに刷り込まれている生物学的な進化の一部となっています。

<h2>サウナやお風呂は自然な人間の体の一部
日本列島のように住みやすい地域では入浴の意味合いはそれほど重要ではなくなっていました。
日本に入ったお風呂文化は朝鮮半島北部で発達したものです。それが北方から列島に入った民族によってもたらされたと考えられています。
南方から移り住んだ民族ではもともとお風呂の習慣がない人たちが入ってきました。
また、日本列島では6万年前にアフリカ大陸を5系統に分けて出て行った現生人類のすべてのDNAが見つかっている世界でも珍しい地域です。

そのため、民族が他の民族を淘汰することなく共存していました。そのためお風呂や温泉も共同で利用したことが考えられます。
それを踏まえると現在の大きなお風呂であっても独り占めすることなく、他人を思いやる気持ち、こちらへどうぞの精神がそれを行った人を幸せにすることになります。
情けは人のためならずという諺もあるそうですが、それも人の役に立つことが我々のDNAにすりこまれた生物学的に自然なことだということです。

<h2>弥生時代は重要拠点
弥生時代に入って稲作が始まり、領地の意識が現れると温泉はその地域の王の重要拠点となり、独占するようになりました。
この辺りから温泉地による温泉の商売は始まったものと思われます。
温泉は沸かさなくても穴を掘るだけで温かい湯に入れるので程なく人が集まり、料金を徴収し、市が立つようになりました。
お風呂と温泉は今では偶然同じ形をしていますが、その進化の過程は全く違うものです。
お風呂は サウナ、ミストサウナ、お風呂と発達してきましたが、温泉は初めからお風呂の形をしていました。

<h2>人工の炭酸泉のはじまり
今から20年ほど前、大阪ガスと新潟鉄鋼は入浴用の炭酸泉の開発を進めてきました。
これはボイラーの排気ガス中の炭酸ガスをお湯に溶け込ませるといユニークな方法で、成功していれば画期的な製品になっていましたが、最終的には十分な濃度にできないこと、不純物の混入があることなどで開発を断念することになりました。

三菱レイヨンは糖尿病患者の足の治療を目的とした中空糸膜方式の治療器具を病院に普及させてきました。中空糸膜でお湯に高濃度で炭酸を溶け込ませることができることがわかり、病院用の医療機器として発売をしました。
中空糸膜方式は初めから1000ppmの高濃度の炭酸泉を作ることができます。そのため少量の炭酸泉が必要な治療には最適なものでした。

ただし、中空糸膜方式では余剰炭酸ガスの再溶解ができないため、大量の炭酸泉を循環濾過するような公衆浴場への応用は難しいものがありましたが、エンジニアの努力により成功させて行きました。
そして今から13年前三菱レイヨンが開発した中空糸膜方式を湯乃市では世界に先駆けて公衆浴場に導入しました。これが日本の炭酸泉の始まりです。

<h2>湯乃市柄沢店の不思議
湯乃市柄沢店は業界の七不思議の1つと言われ天然温泉を掘削してもいないのにずっと客数が落ちないでいる業界では不思議な施設とされてきました
その理由が炭酸泉にあることは知られてきましたが、決定的なものではありませんでした。
その当時は炭酸泉の浴槽は一つしかなく、お客様と関わりを多く持つ、積極的にお客様に関わるなど、当時他のスーパー銭湯ではやっていなかったことも集客の要因であったため、炭酸泉がスーパー銭湯の必須アイテムになるほどとは考えられていませんでした。

そして炭酸泉を爆発的な普及に持ち込んだのは千葉県にあった野田の湯です
野田の湯はもともと閉鎖して解体する予定だったのですが解体を受け取って請け負った会社が経営に乗り出し、その時名古屋にある株式会社フォームの炭酸泉を導入し地域で有名な繁盛店となりました。

同施設のわずか1キロのところに七光台温泉がオープンしましたが客数は閉鎖寸前だった野田の湯の方がはるかに上回っていました。
七光台温泉は温浴の設計では有名な玉岡設計が天然温泉を利用して設計した渾身の作です。それが開店早々ボロボロの状態にされたのですから、業界に与えた衝撃は大きかったです。
また、経営を始めた高野社長は非常にユニークな人で、七光台温泉の出口に大きな野立て看板を立てました。
理由は見込み客が一番多く集まる場所に看板を出したかった。という理由です。確かに非常に効率的な野立て看板の出し方です。
これはできるかできないかの実行力が問われる代表的な例といえるでしょう。

また、お店のテーマソングを作り、お店の看板を派手に描いた軽自動車でテーマソングを流しながら近隣を走り回っていました。走る広告塔です。これも効果があります。要はやるかやらないか、勇気があるかないかです。
また、お風呂にくる客は食事とリラックスが大切だと考え、個室の客席を設けたり、食事を充実させたりして炭酸泉をより楽しく効果的に利用できるように炭酸泉フューチャリングの施設を徹底して作って行きました。

これが功を奏して客数では地域一番店になりました。
これが温浴業界に衝撃を与え、炭酸泉はs宮客できる、儲かる、との雰囲気を作り、炭酸泉の爆発的な普及になりました。

炭酸泉は体にいいから普及したのではなく、儲かるから普及したという興味深い結果が見て取れます。
普及するには、まずは普遍的な真実であることが大切ですが、次に大切なことは価値がある。つまり利益が上がるということが現代社会では大切な要素です。

これが炭酸泉に火をつけるきっかけとなった事件です。

この後炭酸泉はスーパー銭湯の必須アイテムとなり現在では約600施設が炭酸泉を導入しています。
湯乃市ではいち早く世界に先駆けて炭酸泉を導入したため炭酸の知識は蓄積されていきました。
炭酸泉は血行を良くし血管を拡張するために非常に良いのですが特に湯上がりに肌が乾燥してしまうようなことがありました。
それを防ぐために死海の塩を入れてクレオパトラの炭酸泉としました。アディポネクチンが増えることが確認されたのはその後です。

その後株式会社フォーム(拡散方式)と三菱レイヨン(中空糸膜方式)の製品が次々と導入されていきましたが今ではおよそ半数が三菱レイヨンと言う状況になっています。
ただし三菱レイヨンの製品は未溶解の炭酸ガスを溶解できないのでガス消費量が多いと言うことが問題になっていました。それと過飽和に溶かすことができないということも問題になっていました。
そのため三菱レイヨンでも中空糸膜方式を変更し、大型施設で拡散方式に変更するようになってきています。

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